2008年 03月 24日
陶芸家の年度末 |
よく陶芸家って食べて行けるんですか、というリアルなご質問を投げかけられる事があります。
食べて行く、という事をどう捉えるかなのだけれど、私は食べて行けるようになるべき、ではあるものの、正直現状はなかなか厳しい職業と言わざるを得ないと思っています。著名な先生方は別でしょうが、それでも潤沢な資金でもって悠々自適、という方はほんの一握りではないでしょうか。バブルの時代は作れば売れた、と私の師匠世代の方々は皆さんおっしゃいます。先人のこの時代があったから、追随する若者が増えたのだと思います。
おそらく私のページを読んで下さっている同業者の方はお察しの事と思いますが、私が仕事場を持てているのは、援助があるからです。
ほとんどの陶芸家の方が教室の仕事をしながら、自分の作陶をする、という状況です。または大きな窯元でスタッフとして働く、窯業とは関係のない他のバイトをする等で定収を得ながら、自分の自由な物作りをします。
私は昨年末までお教室で働いていましたが、今年になって辞めましたので、正直既に歪みが出始めています。私の場合は生活は夫の収入に支えられているので、私の収入はそのまま作陶の資金に流れます。それだけでも相当に幸せな状況ですが、駆け出しなので失敗や、作品と釉薬の試作等試行錯誤もあるので、大変な無駄の上に完成品が成り立ちます。しかし完成品の価格に、この無駄を上乗せして価格をつり上げる事はできません。消費者目線の適正価格(最近はあまりにも安価で素敵なものが、海外生産等で作られているので太刀打ち出来ませんが)にある程度は合わせる必要があります。なんといっても”日用品”ですから。
しかも学校を卒業してすぐ独立した方ならいざ知らず、私のように弟子の期間を5年間、独立準備に2年間過ごして独立している人間にとってみれば、長い時間をかけて辿り着いた行く末が、霞を食べる様な稼業というのは、うすうす解っていたながらも改めて直面すると重みが違います。
この手の話はアヒルの水かきのごとく、本来は表に出す話ではないのかも。我々の仕事は作品とともに夢を売る商売なので。でも、あまりに偶像ばかりだと陶芸家を目指す若者に対して無責任であってはいけない、と思いちょっと書いてみました。
年度末ですのでね。一番この手のネタでへこんでる時期なので。
でも若者達よ。お金がなくても充実している幸せな生活というものはあるのです。だから陶芸稼業はやめられないし、目指す人口も増えているのだと思います。
それにもちろん、若手で活躍している作家の方々が結構いるのも事実です。彼らにも色々事情はあるにせよ、暮らしに困っているという事はないでしょう。
私としては、いわゆる亜流であっても作品で収入が得られる、今までとは違うプロトタイプというものがないものか、考えています。まずは作品力、が第一。余計な邪念は捨てて作る事が第一ですが、何とかもっと職業として成り立たせられないものか。それが私たちの世代に課せられている課題だと思っているのです。陶芸家の底上げをしていかないと、作家は皆泣きを見て安価に卸す事しか出来ない。私の弟子仲間も私も皆が”もう少し”陶芸で稼げるようになれば、こんな幸せな事はないのです。
洋服の世界は資本が大きい分、沢山の人の手を介在して作品が出来上がります。
陶芸は自分一人で作り上げて行く世界です。私が服飾の会社を辞める時は、お金の規模は小さくても良いから自分の作品が作りたい、と志して、陶芸界に飛び込みました。
でもね、大人になると解るんですね。現実って厳しいのだ、と。
そもそも洋服にお金をかける消費者人口と、食器にお金をかける消費者人口に圧倒的に差があるのです。
陶芸家仲間の皆様よ。年度末に負けずにがんばろう!!!
時代がいつ味方してくれるかは解らないのだっ。
夢見る気持ちが折れそうになる事もね、あるんですよ。
でもね、また夢を見るのです。そうやって作品を作って行くのです。
ちょっとしんみりしたお話にはユキヤナギでお口直し。
家の庭のものです。今日の雨にも負けずに咲いていますよ。
食べて行く、という事をどう捉えるかなのだけれど、私は食べて行けるようになるべき、ではあるものの、正直現状はなかなか厳しい職業と言わざるを得ないと思っています。著名な先生方は別でしょうが、それでも潤沢な資金でもって悠々自適、という方はほんの一握りではないでしょうか。バブルの時代は作れば売れた、と私の師匠世代の方々は皆さんおっしゃいます。先人のこの時代があったから、追随する若者が増えたのだと思います。
おそらく私のページを読んで下さっている同業者の方はお察しの事と思いますが、私が仕事場を持てているのは、援助があるからです。
ほとんどの陶芸家の方が教室の仕事をしながら、自分の作陶をする、という状況です。または大きな窯元でスタッフとして働く、窯業とは関係のない他のバイトをする等で定収を得ながら、自分の自由な物作りをします。
私は昨年末までお教室で働いていましたが、今年になって辞めましたので、正直既に歪みが出始めています。私の場合は生活は夫の収入に支えられているので、私の収入はそのまま作陶の資金に流れます。それだけでも相当に幸せな状況ですが、駆け出しなので失敗や、作品と釉薬の試作等試行錯誤もあるので、大変な無駄の上に完成品が成り立ちます。しかし完成品の価格に、この無駄を上乗せして価格をつり上げる事はできません。消費者目線の適正価格(最近はあまりにも安価で素敵なものが、海外生産等で作られているので太刀打ち出来ませんが)にある程度は合わせる必要があります。なんといっても”日用品”ですから。
しかも学校を卒業してすぐ独立した方ならいざ知らず、私のように弟子の期間を5年間、独立準備に2年間過ごして独立している人間にとってみれば、長い時間をかけて辿り着いた行く末が、霞を食べる様な稼業というのは、うすうす解っていたながらも改めて直面すると重みが違います。
この手の話はアヒルの水かきのごとく、本来は表に出す話ではないのかも。我々の仕事は作品とともに夢を売る商売なので。でも、あまりに偶像ばかりだと陶芸家を目指す若者に対して無責任であってはいけない、と思いちょっと書いてみました。
年度末ですのでね。一番この手のネタでへこんでる時期なので。
でも若者達よ。お金がなくても充実している幸せな生活というものはあるのです。だから陶芸稼業はやめられないし、目指す人口も増えているのだと思います。
それにもちろん、若手で活躍している作家の方々が結構いるのも事実です。彼らにも色々事情はあるにせよ、暮らしに困っているという事はないでしょう。
私としては、いわゆる亜流であっても作品で収入が得られる、今までとは違うプロトタイプというものがないものか、考えています。まずは作品力、が第一。余計な邪念は捨てて作る事が第一ですが、何とかもっと職業として成り立たせられないものか。それが私たちの世代に課せられている課題だと思っているのです。陶芸家の底上げをしていかないと、作家は皆泣きを見て安価に卸す事しか出来ない。私の弟子仲間も私も皆が”もう少し”陶芸で稼げるようになれば、こんな幸せな事はないのです。
洋服の世界は資本が大きい分、沢山の人の手を介在して作品が出来上がります。
陶芸は自分一人で作り上げて行く世界です。私が服飾の会社を辞める時は、お金の規模は小さくても良いから自分の作品が作りたい、と志して、陶芸界に飛び込みました。
でもね、大人になると解るんですね。現実って厳しいのだ、と。
そもそも洋服にお金をかける消費者人口と、食器にお金をかける消費者人口に圧倒的に差があるのです。
陶芸家仲間の皆様よ。年度末に負けずにがんばろう!!!
時代がいつ味方してくれるかは解らないのだっ。
夢見る気持ちが折れそうになる事もね、あるんですよ。
でもね、また夢を見るのです。そうやって作品を作って行くのです。
ちょっとしんみりしたお話にはユキヤナギでお口直し。
家の庭のものです。今日の雨にも負けずに咲いていますよ。
by yukoo1218
| 2008-03-24 12:24
| 陶芸コラム