2008年 04月 12日
もう一人の師 |
私の大事な恩師森田榮一氏に関しては、この2日で触れましたが、もう一人の師は三宅一生さんです。
一生さんとお仕事していた時代に学んだ事は、本当にはてしなく、筆舌しがたい物があります。そもそも私が陶芸を始めよう、物作りの世界に飛び込もうと思った、一番大きなきっかけを与えて下さった方は一生さんと言っても過言ではありません。
20歳から23歳まで株式会社イッセイミヤケにて広報部に勤務していましたが、その内22歳後半から23歳前半の1年間は、三宅氏と藤原氏のプロジェクト、A-POCの初代担当プレスとして働いていたので、がっつり一緒にお仕事をしていました。そもそも三宅氏肝いりの、このプロジェクトの担当に私を抜擢して下さったのは三宅氏ご本人でした。新しいプロジェクトの窓口は色がついていない新人にしよう、ということで白羽の矢がたったのです。
一生さんとの事については、今後また折りにふれお伝えしますが、何しろ私が陶芸家を志すので職を辞したいと、ご報告に上がったときは、非常に驚かれながらも
「君がただ、仕事を辞めたいと言ってきたのなら、何が何でも留まるように説得しただろうけれど、僕は物作りを志す若者を止められないな。そういう事ならがんばって。でも東京都現代美術館の展覧会の設営とA-POCのパリの発表までは居てください」とおっしゃいました。あまりに感激したので一言一句覚えています。
その後、ご自身が親交のあった陶芸家ルーシーリーとの話を、沢山私に話して下さり、最後の日には送別会を開いて下さり、ルーシーリーのご本に応援メッセージを添えてプレゼントしてくださいました。
もう私にとっては神に近い存在のかたなので、心底感激しました。
送別会の乾杯の時に「これはお別れの会ではなくて、裕子ちゃんのスタートのお祝い会です。がんばってね」と。うー今でも泣けてきます。
その時くださったルーシーリーの本は、笠間で辛い時に、なんども開いては私を勇気づけてくれた宝物です。
写真は芸術新潮に当時掲載された三宅氏と私。既に笠間行きが決定していて丸刈りですね。これでも伸びた方なのですが。東京都現代美術館でのイッセイミヤケ Maiking Things展の設営をしている所です。
一生さんとお仕事していた時代に学んだ事は、本当にはてしなく、筆舌しがたい物があります。そもそも私が陶芸を始めよう、物作りの世界に飛び込もうと思った、一番大きなきっかけを与えて下さった方は一生さんと言っても過言ではありません。
20歳から23歳まで株式会社イッセイミヤケにて広報部に勤務していましたが、その内22歳後半から23歳前半の1年間は、三宅氏と藤原氏のプロジェクト、A-POCの初代担当プレスとして働いていたので、がっつり一緒にお仕事をしていました。そもそも三宅氏肝いりの、このプロジェクトの担当に私を抜擢して下さったのは三宅氏ご本人でした。新しいプロジェクトの窓口は色がついていない新人にしよう、ということで白羽の矢がたったのです。
一生さんとの事については、今後また折りにふれお伝えしますが、何しろ私が陶芸家を志すので職を辞したいと、ご報告に上がったときは、非常に驚かれながらも
「君がただ、仕事を辞めたいと言ってきたのなら、何が何でも留まるように説得しただろうけれど、僕は物作りを志す若者を止められないな。そういう事ならがんばって。でも東京都現代美術館の展覧会の設営とA-POCのパリの発表までは居てください」とおっしゃいました。あまりに感激したので一言一句覚えています。
その後、ご自身が親交のあった陶芸家ルーシーリーとの話を、沢山私に話して下さり、最後の日には送別会を開いて下さり、ルーシーリーのご本に応援メッセージを添えてプレゼントしてくださいました。
もう私にとっては神に近い存在のかたなので、心底感激しました。
送別会の乾杯の時に「これはお別れの会ではなくて、裕子ちゃんのスタートのお祝い会です。がんばってね」と。うー今でも泣けてきます。
その時くださったルーシーリーの本は、笠間で辛い時に、なんども開いては私を勇気づけてくれた宝物です。
写真は芸術新潮に当時掲載された三宅氏と私。既に笠間行きが決定していて丸刈りですね。これでも伸びた方なのですが。東京都現代美術館でのイッセイミヤケ Maiking Things展の設営をしている所です。
by yukoo1218
| 2008-04-12 01:33
| 東京