2008年 05月 02日
我が原点 |
今日は笠間の陶炎祭に行ってきました。
盛大な陶器市で毎年5月の連休に開催されます。
以前の日記にも書いたように私は師匠に8年前の、このお祭りで初対面でいきなり弟子志願をしました。思い出のイベントですね。
森田師匠に会いに、そして笠間の皆に会いに、笠間へいく道すがらは、ちょっとキュンとします。
通り慣れた道にさしかかると、もう思い出満載で。
今日は、久しぶりに自分が笠間時代に5年間住んでいた家を訪ねてみました。
この道はものすごく緊張しました。私以降借り手が付かず、大家さんが取り壊すと言っていたと、知人から伝え聞いていたのです。
もう無いかもしれないと云う、緊張感。
家賃2万円、2間、キッチンお風呂付き、汲み取り式のお手洗いの家。
冬は室内でも鼻息が白くなる、底冷えする家。
ネズミが引き出しに住み着いて、服が沢山ダメになった家。
梅雨の時期は畳や押し入れがカビる家。
しばらくはテレビが無くて、シドニー五輪の柔ちゃん優勝をラジオで実況観戦した家。
毎日朝昼夜自炊して、寝る前は毎晩少しお酒を飲んで読書をして、休日は掃除とひなたぼっこをした家。
どれも、とても平成の世とは思えないエピソードばかりです。
でも私にとってはかけがえの無い、原点の家。
当時東京で生まれ育って23年の私には、茨城での生活は到底無理だと、師匠も、両親も、友人も思っていたようです。師匠も「半年で音をあげると思っていたのに、結局誰よりも長く居たなぁ」と言っていました。
私はと云えば、初めての自活しての一人暮らし、しかも自分の夢に向かっての毎日にドキドキしていて、必死で、5年間一度も辛いと思ったことはありませんでした。ネズミが私の20センチ脇を走り回っていたときは、さすがに参りましたが(笑)
ここでの生活は二度と経験出来ない、私の青春が詰まっています。

ありました。
まだきちんと建っていました。あぁ、本当に嬉しかった。
そして、改めてまた気を引き締めて、陶芸と向き合おうと思ったのでした。
この家には随分友人達が、なかなか東京に帰れない私を励ましに、泊まりにきてくれました。決して快適とは言えない、しかも遠いこの家に、遊びに来てくれて、私と時間を過ごしてくれた事、これも今の私を支えてくれている大きな原動力です。
笠間、良いとこだなぁ。この土地と繋がれた事を、本当に幸せに思います。
盛大な陶器市で毎年5月の連休に開催されます。
以前の日記にも書いたように私は師匠に8年前の、このお祭りで初対面でいきなり弟子志願をしました。思い出のイベントですね。
森田師匠に会いに、そして笠間の皆に会いに、笠間へいく道すがらは、ちょっとキュンとします。
通り慣れた道にさしかかると、もう思い出満載で。
今日は、久しぶりに自分が笠間時代に5年間住んでいた家を訪ねてみました。
この道はものすごく緊張しました。私以降借り手が付かず、大家さんが取り壊すと言っていたと、知人から伝え聞いていたのです。
もう無いかもしれないと云う、緊張感。
家賃2万円、2間、キッチンお風呂付き、汲み取り式のお手洗いの家。
冬は室内でも鼻息が白くなる、底冷えする家。
ネズミが引き出しに住み着いて、服が沢山ダメになった家。
梅雨の時期は畳や押し入れがカビる家。
しばらくはテレビが無くて、シドニー五輪の柔ちゃん優勝をラジオで実況観戦した家。
毎日朝昼夜自炊して、寝る前は毎晩少しお酒を飲んで読書をして、休日は掃除とひなたぼっこをした家。
どれも、とても平成の世とは思えないエピソードばかりです。
でも私にとってはかけがえの無い、原点の家。
当時東京で生まれ育って23年の私には、茨城での生活は到底無理だと、師匠も、両親も、友人も思っていたようです。師匠も「半年で音をあげると思っていたのに、結局誰よりも長く居たなぁ」と言っていました。
私はと云えば、初めての自活しての一人暮らし、しかも自分の夢に向かっての毎日にドキドキしていて、必死で、5年間一度も辛いと思ったことはありませんでした。ネズミが私の20センチ脇を走り回っていたときは、さすがに参りましたが(笑)
ここでの生活は二度と経験出来ない、私の青春が詰まっています。

ありました。
まだきちんと建っていました。あぁ、本当に嬉しかった。
そして、改めてまた気を引き締めて、陶芸と向き合おうと思ったのでした。
この家には随分友人達が、なかなか東京に帰れない私を励ましに、泊まりにきてくれました。決して快適とは言えない、しかも遠いこの家に、遊びに来てくれて、私と時間を過ごしてくれた事、これも今の私を支えてくれている大きな原動力です。
笠間、良いとこだなぁ。この土地と繋がれた事を、本当に幸せに思います。
by yukoo1218
| 2008-05-02 21:53
| 陶芸コラム

