2008年 04月 11日
師匠との出会い 続き |
当時私は、会社を辞める決意と、新しい挑戦への決意のゲン担ぎで、髪を丸刈りにしていたので、師匠は、未だに私の衝撃的な第一印象を、飲むと良く話します。
なにしろ、遠くから丸刈りの女が、自分めがけてまっしぐらに駆け寄ってきたのだから、ちょっとしたホラーだった事でしょう。私は「茨城の地場産業紹介のリーフレットで拝見したのですが、森田さんですよね」と人生初のナンパをしたわけです。若干後ずさりする森田氏でしたが、私を自分の店舗ブースに招き入れて、話を聞いてくれました。
実は私は陶芸の仕事をしたいと言いながらも、何とズブの素人で、まったく陶芸経験は無かったのですね。それで職を探そうってんだから無謀も甚だしいのですが、弟子入りならば掃除でも何でも、何がしか役に立てる事があるんではないかと思ったのです。また、笠間の窯業指導所は(陶芸の訓練校)当時、入所資格が笠間在住者か、笠間の地場産業に貢献した人にしか無く、更に笠間の陶芸関係者の推薦状が必要で、私はいわゆる”地走り”といわれる下働きをして、どなたか陶芸家の方に、指導所に推薦して頂く事を希望していたのです。今冷静に書いていると、相当自分勝手な目論みですね。
私は森田さんに上記の話を、丸ごと話して、すなわち「弟子にして下さい。それがダメなら、いったい私はどうしたら良いのか教えて下さい」とご相談したわけです。
森田さんからのお返事は「まず森田陶房は今一人お弟子を抱えているので、うちでは取れない。しかしながら、陶芸を志す若者をみすみす見捨てるわけにも行かないし、どこかで弟子を取る話があったらすぐに紹介してあげるから、連絡取り合いましょう」という事でした。更に「ちょうど6月に東京で個展をやるから、DMあげましょう」といってハガキをくださり、私はドキドキしながらも、とにかく一縷の望みは繋がった!と少しホッとして、東京に帰りました。
その一ヶ月半後、東京の個展初日に会社を早く切り上げて向かった私。そこで今度は、そのギャラリーのオーナーの幸義明さんと、お話をします。東京は広尾にある”旬”というギャラリーは、陶器、ガラス、漆器、人形、家具などの展示を多くやっている、とても素敵なギャラリーです。幸さんから色々ご質問受けて、私がイッセイミヤケに勤務している事、陶芸家になりたくて森田さんに弟子入りを志願しているが、断られている事等の立ち話していました。
幸さんは「笠間の陶芸家を色々知っているけど、弟子入りするなら森田さんが最高だよ。愛があるから、ちゃんとお弟子が育つんだよね。今までに何人も育ててるし。奥さんも素晴らしい方だし。入るなら森田さんの所にしなさいよ」と言っておられましたが、「いやはやこればかりは自分でどうにかなる事ではないですし、ご迷惑なのは十分解っているので」と私。
オープニングの後に皆で飲みに行くけど行く?と森田氏より言って頂き、そのまま居酒屋へ。
そこで幸さんが、突然
「森田さん、なんでこの子取らないの?今の笠間には、こういう新しい風を吹き込んでくれる子が必要なの、あんたもわかってるでしょ。イッセイミヤケに勤めているような感性のある子、弟子にしたら、森田さんにとっても良い刺激になるのよ」
と話し始めたのです。
森田氏「いやぁ幸さん、そうはいっても給料払えねぇよ」
私「お金は、働いている間の貯金がありますから、使い物になるまでは、いりませんっ」
幸氏「ほらぁ、そうよ。会社員やってんだから。それは理由にならないよ。いいじゃん3ヶ月でも6ヶ月でもお金払わずに研修期間にして、合わなきゃ辞めさせるんで良いんだから。まずはチャンス与えてやりなよ。この子もそれで辞めさせられる分には文句ないだろ」
私「文句ないです!!!」
結局そこで飲んでるうちに、採用が決まってしまいました。森田さんは「とにかく、始めのうちは弟子じゃないからね。お試し期間だから。あと、住む所も今うちにいる姉弟子より良い所には住まない事。家賃2万3千円より高い所はダメ。一応履歴書送って。9月1日からいらっしゃい」との注意事項を私に告げて、笠間に帰って行かれました。
その日の興奮は未だに忘れられません。広尾から実家まで歩いて帰りましたが、ほとんど上の空でした。
その後お世話になり始めてから半年、無事に本採用してもらい、4年の修行の後、窯業指導所の釉薬科に推薦して頂き、全ての修行を終えて今に至ります。始めの2年間は、ほとんど口をきいてもらえず、師匠と話をするときは、いつも緊張して涙ぐんでしまう様な状態でした。でも優しさ故の厳しさなのは解っていましたし、結局入った始めの月から、お給料もくださったので、本当に有り難い状況でした。丸2年がたち、少し使い物になるようになってからは、懐に入れて下さって本当に可愛がって育てて頂きました。
その師匠から昨日携帯に電話がきました。
笠間を出て3年、一度もそんな事はありません。
師匠の奥様か、お母様に何かあったに違いない、と、慌てて電話に出ると。。。
「いま薪窯の窯だししててよぉ。俺酔っちまってんだけどさー。一緒に窯だししてる奴らが、岡崎は可愛かった可愛かったって、うるせーのよ。俺に言われてもしらねーよなぁ!そんで電話したの。あ、そんで今から家に帰りまーす。連休の陶器市でな!旦那によろしくな」
。。。。。師匠も以前にもましてお茶目な好々爺になってきたのかな。ちなみに時間は午前11時頃でした。久しぶりに、父から電話をもらった様な感覚。5月に半年ぶりに会うのが楽しみです。
なにしろ、遠くから丸刈りの女が、自分めがけてまっしぐらに駆け寄ってきたのだから、ちょっとしたホラーだった事でしょう。私は「茨城の地場産業紹介のリーフレットで拝見したのですが、森田さんですよね」と人生初のナンパをしたわけです。若干後ずさりする森田氏でしたが、私を自分の店舗ブースに招き入れて、話を聞いてくれました。
実は私は陶芸の仕事をしたいと言いながらも、何とズブの素人で、まったく陶芸経験は無かったのですね。それで職を探そうってんだから無謀も甚だしいのですが、弟子入りならば掃除でも何でも、何がしか役に立てる事があるんではないかと思ったのです。また、笠間の窯業指導所は(陶芸の訓練校)当時、入所資格が笠間在住者か、笠間の地場産業に貢献した人にしか無く、更に笠間の陶芸関係者の推薦状が必要で、私はいわゆる”地走り”といわれる下働きをして、どなたか陶芸家の方に、指導所に推薦して頂く事を希望していたのです。今冷静に書いていると、相当自分勝手な目論みですね。
私は森田さんに上記の話を、丸ごと話して、すなわち「弟子にして下さい。それがダメなら、いったい私はどうしたら良いのか教えて下さい」とご相談したわけです。
森田さんからのお返事は「まず森田陶房は今一人お弟子を抱えているので、うちでは取れない。しかしながら、陶芸を志す若者をみすみす見捨てるわけにも行かないし、どこかで弟子を取る話があったらすぐに紹介してあげるから、連絡取り合いましょう」という事でした。更に「ちょうど6月に東京で個展をやるから、DMあげましょう」といってハガキをくださり、私はドキドキしながらも、とにかく一縷の望みは繋がった!と少しホッとして、東京に帰りました。
その一ヶ月半後、東京の個展初日に会社を早く切り上げて向かった私。そこで今度は、そのギャラリーのオーナーの幸義明さんと、お話をします。東京は広尾にある”旬”というギャラリーは、陶器、ガラス、漆器、人形、家具などの展示を多くやっている、とても素敵なギャラリーです。幸さんから色々ご質問受けて、私がイッセイミヤケに勤務している事、陶芸家になりたくて森田さんに弟子入りを志願しているが、断られている事等の立ち話していました。
幸さんは「笠間の陶芸家を色々知っているけど、弟子入りするなら森田さんが最高だよ。愛があるから、ちゃんとお弟子が育つんだよね。今までに何人も育ててるし。奥さんも素晴らしい方だし。入るなら森田さんの所にしなさいよ」と言っておられましたが、「いやはやこればかりは自分でどうにかなる事ではないですし、ご迷惑なのは十分解っているので」と私。
オープニングの後に皆で飲みに行くけど行く?と森田氏より言って頂き、そのまま居酒屋へ。
そこで幸さんが、突然
「森田さん、なんでこの子取らないの?今の笠間には、こういう新しい風を吹き込んでくれる子が必要なの、あんたもわかってるでしょ。イッセイミヤケに勤めているような感性のある子、弟子にしたら、森田さんにとっても良い刺激になるのよ」
と話し始めたのです。
森田氏「いやぁ幸さん、そうはいっても給料払えねぇよ」
私「お金は、働いている間の貯金がありますから、使い物になるまでは、いりませんっ」
幸氏「ほらぁ、そうよ。会社員やってんだから。それは理由にならないよ。いいじゃん3ヶ月でも6ヶ月でもお金払わずに研修期間にして、合わなきゃ辞めさせるんで良いんだから。まずはチャンス与えてやりなよ。この子もそれで辞めさせられる分には文句ないだろ」
私「文句ないです!!!」
結局そこで飲んでるうちに、採用が決まってしまいました。森田さんは「とにかく、始めのうちは弟子じゃないからね。お試し期間だから。あと、住む所も今うちにいる姉弟子より良い所には住まない事。家賃2万3千円より高い所はダメ。一応履歴書送って。9月1日からいらっしゃい」との注意事項を私に告げて、笠間に帰って行かれました。
その日の興奮は未だに忘れられません。広尾から実家まで歩いて帰りましたが、ほとんど上の空でした。
その後お世話になり始めてから半年、無事に本採用してもらい、4年の修行の後、窯業指導所の釉薬科に推薦して頂き、全ての修行を終えて今に至ります。始めの2年間は、ほとんど口をきいてもらえず、師匠と話をするときは、いつも緊張して涙ぐんでしまう様な状態でした。でも優しさ故の厳しさなのは解っていましたし、結局入った始めの月から、お給料もくださったので、本当に有り難い状況でした。丸2年がたち、少し使い物になるようになってからは、懐に入れて下さって本当に可愛がって育てて頂きました。
その師匠から昨日携帯に電話がきました。
笠間を出て3年、一度もそんな事はありません。
師匠の奥様か、お母様に何かあったに違いない、と、慌てて電話に出ると。。。
「いま薪窯の窯だししててよぉ。俺酔っちまってんだけどさー。一緒に窯だししてる奴らが、岡崎は可愛かった可愛かったって、うるせーのよ。俺に言われてもしらねーよなぁ!そんで電話したの。あ、そんで今から家に帰りまーす。連休の陶器市でな!旦那によろしくな」
。。。。。師匠も以前にもましてお茶目な好々爺になってきたのかな。ちなみに時間は午前11時頃でした。久しぶりに、父から電話をもらった様な感覚。5月に半年ぶりに会うのが楽しみです。
▲
by yukoo1218
| 2008-04-11 14:13
| 陶芸コラム